涌井家の本格和風造りマイホーム計画02
涌井家の世帯主、長男の豊さんにマイホーム計画を取り仕切るだけの資格というものはありました。
しかし、60歳代に差し掛かるご両親にまかせっきりで、豊さんはというと何もなかったかのように毎日の職場と自宅の往復をただ無感情に繰り返していらっしゃるだけでした。
豊さんには自主性とか、自分の感性で生きていくというよりも、ご両親の豊さんにかぶせた期待と模範的な生き方にただ忠実に生きて居るだけでした。
妹の美香さんも、ご両親はもとより、兄の豊さんのことを気にかけていらっしゃいました。
美香さんには、豊さんの人生が、ご両親の歪んだ期待の犠牲となっている、そんな風にしか見えなかったのも確かなことでした。
豊さん、ご両親のお住いの現涌井邸の状況は次のようなものでした…
① 1981年以前のリフォーム施工管理という状況で、国の定めた新しい耐震基準をとても満たしているとは言えないこと。
② 高度経済成長期の、比較的模範的な純和風建築の住宅で、耐久性と住居の機能で優れているともいえないし、特別劣っているともいえない物件であること。
③ 付帯設備では旧式であり、ガス給湯器、ウォシュレット、などの設備機器の導入をこの度のマイホーム計画で考えていることと、大きく期待していること…
ある晴れた日曜日、都内の住宅展示場を訪れた豊さん、ご両親、お母様の言うまま、純和風の展示会場に入った豊さん。
案内の営業担当の進めるまま、案内された三人は、豊さんのご両親への対応に、親孝行な息子さんですね、と一言。
ご両親も、とても自慢の息子なんですよ、と微笑んでいらっしゃいました。
そのうち、営業担当はあまりにもの豊さんの自主性のなさに、家の説明をご両親、特にお母様に中心にするようになりました。
自宅に戻っても、豊さんはテレビにかじりついたまま、ご両親は、今日観たモデルハウスで頂いたカタログ、メーカー説明書類を囲んで話していらっしゃいました。