家づくりブログ|ストーリー形式で家づくりについて詳しくなりましょう

ストーリー形式で家づくりについてご紹介していきます。家づくりについて学びたい人は読んでみましょう。

織田家の細密マイホーム計画04

土地購入の際、ある程度、妥織田協も必要かなと考える、織田家のご主人一郎様。

奥様の、陶芸教室の関係もあり、あまり今まで住んでいた都内から離れていくことはダメではと考えていらっしゃいました。

子供さんにも、折角たくさんいる友達と別れて、利便性の悪い地域に移動していくのもどうなのかなと、常に悩みを抱えておられました。

 

子供さんの、ゆかり さん、優太さんは、「お父さんは無理ばかりしすぎ…」と常に父親に対して心配の気持ちを持っておられました。

奥様の典子様も、なるべく、すぐに感じ取って、家族の心配事を自分の問題として抱え込んでしまう一郎様に、どうにか家族なりにしっかりとして問題を起こさないようにと、頑張って行く活力に変えていました。

奥様は、一郎様に隠し事をしたり、変に気を遣うことで、一郎様を傷つけると言った風にも感じていらっしゃいました、常にポジティブで元気でいることが、一郎様の励みになるのだと、ご家族はそんな強い絆で結ばれていらっしゃいました。

 

 

ある休日、一郎様の小学生の頃の恩師が一郎様のマンションに訪れてきました。

一郎様は、都内で、指折りの、銘菓である、なごみ屋の甘納豆の大好物である恩師を最大限にお迎えしようと、急いで、マイカーで買いに行ってしまわれました。

 

恩師の辻先生は、一郎様が一番印象に残る生徒だと初めて、ご家族の前で、留守の一郎さんのことをいろいろと語られ始めました。

 

幼稚園の頃、小児がんの診断を受けていらっしゃった一郎様、

闘病と、両親の不仲の両挟みに合い、何より愛情に飢えていた少年時代…

 

父親の社会的な成功では、今の一郎さんにもかなわないほどの資産家の息子として、何一つ与えられず、理不尽な追放に遭った、お母様は、ただ、家柄が良くないそれだけの理由で、お父様の勝手な扱いに耐え忍んでいらっしゃったようでした。結局父と母は離婚。

いま、小児がんで自分がこの世を去ることは、大切な母親を独りぼっちにしてしまうことだと、考えた幼少期の一郎さんは、何より母親を助けたいがためだけに病気を気力で回復に向かわせたといったこと。

自分に家族が出来たら、決して父親のような酷い父親になってはダメだと言い聞かせ、病後の身体で新聞配達、中学に進学しても、バイトで家計を助けて行かれたこと。

一郎さんには、苦労の祟った末、自分と同じ末期がんで、母親を失うと言った悲しい出来事も経験されていました。

 

一郎さんには、健康に生きること、きちんと足固めをして生きることの大切さは身にしみてわかっていらっしゃいました。

 

多くの同僚、ともだちは、一見真面目一本やりの一郎さんに面白味がないと懸念してしまいます。しかし、長く付き合った多くの友人は、一郎さんの底深くに耐えきれない悲しみと窮地を克服したが故の強さと、慈悲深さを見抜いて、決して離れていきません。

 

お昼前、帰宅された一郎様は、自慢の銘菓を嬉しそうにたしなまれている恩師の辻先生に気を良くして、夕食も食べて行ってくださいと勧めます。

あいにく、早々に帰宅せねば、又来るよと、帰って行かれる恩師の言葉に、一郎さんは「きっとまた来てくださいね、と告げます」

…聞いたよ、家族のために、家を建てるんだって、あんまり無理しちゃいかんよ、自分のことも少しは考えないと…

と言い残して、恩師の辻先生は帰宅されました。

 

 

一か月後、恩師の訃報を受け取った一郎様は、愕然とされたそうです。